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東京高等裁判所 昭和55年(う)739号 判決

被告人 平田光成 ほか一人

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人平田については弁護人和田正隆が提出した控訴趣意書に、被告人野口については弁護人元木徹が提出した控訴趣意書にそれぞれ記載されたとおりであり、これらに対する答弁は、検察官提出の答弁書に記載されたとおりであるから、これらをいずれも引用する。

一  被告人平田についての控訴趣意第一点について

1  所論は、事実誤認をいうものであり、先ず、原判決認定事実第二の石田ヨシ子関係の犯行につき、原判決は、被告人平田、同野口の両名が石田を殺害して金品を強取することの意思を相通じたうえ、右石田方で金品を強取し、石田の頸部を紐状の物で強く絞めるなどして窒息死させたという計画的な強盗殺人の事実を認定しているが、右は重大な事実誤認であつて、本件は計画的な犯行ではなく、被告人両名が石田方に借金の申込みに行きそれを断られた際、たまたま札束を認めてにわかに強盗の犯意を生じ、石田を縛るなどして金員を強取し、同女の口中にパンテイを押し込み口の上にガムテープを貼りつけて猿ぐつわをしたところ、これが同女の気道を閉塞し、同女を死亡するに至らしめたものであり、被告人らには終始殺意がなく、本件は全く偶発的な強盗致死にすぎないとし、被告人らの捜査段階における供述は信用性に乏しいことなど証拠評価や事実認定につき種々詳論するのである。

そこで、原審記録ならびに証拠物を調査検討し、当審における事実取調の結果をも考え合わせて判断すると、原判決が原判示第二の一ならびに同第二の二の1の各認定事実について挙示している各証拠を総合すれば、原判決が石田ヨシ子関係の犯行として判示しているとおりの犯行に至る経緯ならびに強盗殺人の事実を十分に認定することができるのであり、原審において取調べられたその余の証拠ならびに当審における事実取調の結果を合わせて考えても、原判決の右事実認定に誤りがあるとは考えられない。原判決の事実認定を相当とすべき理由は、原判決が弁護人らの主張に対する判断の一において詳細に説示しているとおりであるが、若干説明を付加すれば次のとおりである。すなわち、原判決も説示しているように、被告人両名の捜査官に対する各供述調書の任意性についてはなんら疑いがないところ、被告人平田の捜査官に対する各供述調書によれば、同被告人は、捜査段階において一貫して石田を殺害した事実を認めているのであり、各供述調書の内容に若干の変転はあるものの、全体的にみれば、原判決が詳細に認定しているとおり、自己の経営する株式会社四国美容科学研究所(以下単に四国美研という)の資金運用が苦しくなり金策に窮するようになつたため、在京の女性から金員を奪取しようと考え、昭和五三年五月一五日ころから被告人野口にその計画を打明けて賛同を得たうえ、同月一八日上京し、その上京の途中あるいは上京後において野口との間で金員奪取の方法や相手方の殺害、その死体処分のことなどを話し合い、さらに死体を処分するための道具などを購入し、初めに予定した相手と連絡がつかなかつたことから、結局相手を石田ヨシ子に変え、野口との間で石田を殺害し金品を奪取することの相談をして、同月二一日夜石田方に赴き、強盗殺人の犯行に及んだものである旨を明確に述べていることが明らかである。右平田の捜査段階における供述は、その供述内容からも、関係各証拠との対比からしても、十分に信用することができるものと認められる。

被告人平田は、原審第二回公判において、石田を殺すつもりは終始なかつたものであると述べ、同第五回、第七回各公判においては、四国美研の社長室や大阪空港の喫茶店において野口と泥棒の話はしたが、強盗や殺人の話はしていないこと、上京後の五月二〇日の昼渋谷で野口と食事をした際、泥棒に入り見つかつたら相手を縛つて殺しバラバラにして海に捨てるなどと話し、食事後デパートでトランク、電気鋸などを買つたが、右の話は冗談半分であり、野口に大きいところを見せようと思つたものであつて、本気ではなかつたことなどの供述をしている。しかしながら、右平田の公判廷供述は、同人の捜査段階における供述その他関係各証拠に照らし措信することができない。原判決も説示しているとおり、平田は、上京後滞在費用が乏しくなり、他から二〇万円ほどの金を借りたりしていながら、トランク、電気鋸などの品物を五、六万円支出して購入しているのであつて、右の買物が冗談や単なる見栄だけによるものとは到底考えられないというべきである。

また、被告人平田は、原審第二回、第六回、第七回各公判において、石田方には金を借りるために赴いたものであり、同所で石田に金策を頼んだが断られ、吉川に電話しようと思い電話機のところに行つたところ、石田方の寝室の棚のところに封筒に入つた三〇〇万円くらいの現金が見えたので、初めてその金を取ろうと思い、石田を押えつけるなどしたこと、その後同女の両手を縛り、野口をそばに置いて見張りをさせ、室内から金品を探し出し、さらに同女を奥の部屋まで連行し、その手足を縛り、その口にパンテイを入れガムテープを三重に貼りつけて押え、室内で指輪などを物色していたところ、奥の部屋で音がするので野口と二人で行つてみると、石田が横に倒れ足をバタバタしていたので、その身体を押えているうち、静かになり死んだことがわかつたこと、以上のような供述をしている。被告人平田の当審における供述もおおむね同様である。しかしながら、右の各供述は、いずれも捜査段階では全く述べられていないこと(同被告人は、原審公判廷において、ガムテープのことは警察でも言つたが、取り上げてくれなかつた旨供述しているが、にわかに信用することができない。)、前述のように、被告人らが上京後トランク、電気鋸などを購入している事実からしても、被告人らの金員強取の犯意が偶発的に生じたものとは決して考えられないこと、原審における証人渡辺博司の証言、同人作成の鑑定書、検視結果報告書等の各証拠によれば、被害者石田ヨシ子の死因は頸部圧迫による窒息であるとみられるのであり、布切れを口中に押し込んだことによる気道閉塞とは考えられないこと、被告人平田は、原審第一回公判において、「ロープでヨシ子の頸部を強く絞めたときは、同女を殺すつもりでした。」と述べていること、以上のような諸点からして、平田の原審第二回公判以降当審に至るまでの前記供述は到底信用することができない。

以上のとおりであるから、石田ヨシ子関係の強盗犯人の犯行につき、原判決の事実認定にはなんら誤りがなく、論旨は理由がない。

2  次に、所論は、原判決認定事実第三の内村ミル子関係の犯行につき、原判決は、被告人両名があらかじめ共謀を遂げ、その共謀内容に添つて、内村を絞殺して金品を奪い、さらに上京後内村方に侵入して書類などを奪つたもので、すべて事前の計画に基づき確定的な犯意のもとで敢行された強盗殺人の犯行であると認定しているが、右は重大な事実誤認であつて、原判示の六月八日夕方には被告人らの間で条件付、未確定的な強盗殺人の共謀があつたものの、同月一〇日松山の山中で内村に金品の所在を問いただしたところ、同女が本当に金を持つていない様子であつたので、平田としては強盗殺人の計画を断念し、野口に姦淫をさせようと思い、「野口やれや」と言つたのを、野口が「殺せ」という趣旨に誤解し、同女の頸部をロープで絞めはじめたので、やむなく野口と共に内村を殺害したものであり、偶発的な犯行であつたとし、被告人両名の捜査段階における供述は措信し難い部分が多いことなど、証拠の評価や事実認定について種々詳論する。

そこで、原審記録ならびに証拠物を調査検討し、当審における事実取調の結果をも考え合わせて判断すると、原判決が原判示第三の一ならびに第三の二の1の各認定事実について挙示している証拠を総合すれば、原判決が内村ミル子関係の犯行として判示しているとおりの犯行に至る経緯ならびに強盗殺人、住居侵入の事実を十分に認定することができるのであり、原審で取調べたその余の証拠ならびに当審における事実取調の結果を合わせて考えても、原判決の右事実認定に誤りがあるとは考えられない。原判決の事実認定を相当とすべき理由は、原判決が弁護人らの主張に対する判断の二において説明しているとおりであり、被告人両名は、捜査段階においてほぼ一貫して原判決の認定に添う供述をしているのであつて、右供述は、その任意性に疑いを抱くべき理由は全くなく、その供述内容、関係各証拠との対比などからしても、十分に信用することができるものと認められる。特に、原判示のような被告人らの東京往復の航空券の予約、スコツプやロープの購入等の動かし得ない事実は、被告人らの強盗殺人の犯意を明らかに裏づけるものといわなければならない(なお、所論は、原判決が、内村の松山市での宿泊先を手配しなかつたことを強盗殺人の犯意を裏づける理由の一つとしている点につき、右は事実に反するものであり、平田は内村のため松山市付近のホテル「勝山」を予約しているとする。右「勝山」予約の点は、平田の検察官に対する昭和五三年八月七日付供述調書により確かに認められるところであるが、右供述調書によれば、「なぜホテルを予約したかといえば、その段階では内村さんを殺す日時までは決まつていなかつたので、彼女を一晩松山に泊める必要が出るかも知れないと思つたこと、又銀行などの手当で忙しくて彼女を松山の飛行場まで定刻に迎えに行けるかどうか判らないので、その場合には彼女との連絡場所を決めておく必要があると考えたことによる。」というのであつて、右予約の点は強盗殺人の犯意を認めるについて支障となるものではなく、野口の検察官に対する昭和五三年八月八日付供述調書によれば、内村を空港に出迎えて車に乗せ走行中、右ホテルの前で車を停め、野口が予約の取消をしていることも明らかである。)。

以上に対し、被告人平田は、原審第一回公判においては、内村に対し初めから殺して物を取るという確定的な気持はなく、金目の物があれば殺して取るし、なければやめるつもりであり、ロープで強く絞めたときは殺すつもりであつたと述べ、同第一一回、第一二回各公判においては、強盗殺人の犯意や共謀の点について甚だ曖昧な供述をし、野口にセツクスをさせれば内村を殺す気がなくなるだろうと思い、やれと言つたところ、同人が勘違いしたらしく、内村の首をロープで絞めたので、それなら仕様がないと思い自分も一緒に同女を殺害したと述べており、当審における供述も、右原審第一一回、第一二回各公判における供述とほぼ同様である。しかしながら、右平田の公判廷供述は、原審第一回公判における供述とその余の供述とにおいて相当の差異があること、同第一一回公判以降における供述は、その内容が甚だ曖昧であり不自然であること、被告人両名の捜査段階における供述その他関係各証拠との対比などの諸点からして、措信することができない。

所論は、内村関係の犯行については、野口の方が終始積極的であり、平田はそれに追随したものであるかのようにいうのであるが、内村に電話することを最初に言い出したのが野口であることは、原判示のとおりであるけれども、内村に対する犯行の全体を証拠によつてみれば、被告人平田が単なる追随的立場にあつたものとは到底みられないのであつて、所論は採ることができない。また、上京の目的が罪跡を隠すためであつたとの所論も、証拠に照らし失当というべきであり、平田は原審第一二回公判においても、金目の物を取るつもりがあつたことを肯定しているのである。

以上のとおり、所論にかんがみ各証拠を総合検討しても、内村ミル子関係の犯行についての原判決の事実認定に誤りがあるとは認められず、論旨は理由がない。

二  被告人平田についての控訴趣意第二点について

1  所論は、法令適用の誤りをいうものであり、先ず、刑法二四〇条後段の法定刑中死刑を定めた点は憲法三六条又は三一条に違反するものであるから、これを選択して被告人に死刑を言渡した原判決は明らかに法令の適用を誤つたものであつて破棄を免れない、というのである。

しかしながら、死刑は憲法三六条にいう残虐な刑罰に当らず、従つて死刑を定めた刑法の規定が右三六条に違反するものでないことは最高裁判所昭和二三年三月一二日大法廷判決・刑集二巻三号一九一頁、同昭和二六年四月六日大法廷判決・刑集五巻五号九二三頁、同昭和三〇年四月六日大法廷判決・刑集九巻四号六六三頁等の各判例の示すとおりであつて、刑法二四〇条後段の法定刑中死刑を定めた点が憲法三六条に違反するものでないことは右判例の趣旨に照らして明らかである。また、現行の死刑執行方法が刑法一一条一項により絞首刑とされていることによつても、その絞首刑が憲法三六条にいう残虐な刑罰にあたらないと解すべきことは前記最高裁判所昭和三〇年四月六日大法廷判決の示すとおりであるから、この点においても刑法二四〇条後段の法定刑中死刑を定めた点が憲法三六条に違反するということはできない。

所論は、死刑が憲法三一条に違反する理由として、(イ)絞首刑の執行方法について具体的な内容を定めた法律の規定がないこと、(ロ)明治六年太政官布告第六五号絞罪機械図式は昭和二二年法律第七二号により同年一二月三一日限り失効していること、(ハ)現在行われている死刑執行方法は、右布告によつて図示されている屋上絞架式ではなく、地下絞架式であつて、その法令上の根拠が明らかでないこと、(ニ)刑法一一条一項は「絞首」して執行すると定めているのに、現行の執行方法は、地下絞架式にしても屋上絞架式にしても、絞首ではなく縊首であること、以上の諸点を主張する。しかし、右(イ)(ロ)(ハ)の主張はいずれも理由がない。死刑については刑法、刑訴法、監獄法等の諸法律の規定があるほか、法律と同一の効力を有すると認められる明治六年太政官布告第六五号の規定が存在し、死刑はこれらの諸規定に基づいて執行されるものであるから、死刑を定めた刑法二四〇条後段の規定が憲法三一条に違反するものということはできず、死刑を言渡した原判決が憲法三一条に違反するものということもできない。このことは最高裁判所昭和三六年七月一九日大法廷判決・刑集一五巻七号一一〇六頁の判示するとおりである。また、所論の(ニ)についても、現行の死刑執行方法は、法医学的には絞首ではなく縊首にあたるとみられるにしても、それが前記の諸規定に定められた死刑執行方法の基本的事項に反しているとは認められないことは、右昭和三六年七月一九日大法廷判決の趣旨からして明らかというべきであるから、右所論によつても、死刑を定めた刑法二四〇条後段の規定が憲法に違反するということはできない。

以上のとおりであるから、刑法二四〇条後段の法定刑中死刑を定めた点が憲法三六条、三一条に違反するものということはできず、原判決が右の法定刑中死刑を選択し、被告人平田に死刑を言渡した点に法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

2  次に、所論は、原判決が、内村ミル子関係の犯行のうち、原判示鈴木マンシヨン四〇七号室の内村方における鍵三個等の取得につき、右の財物の占有は内村にあることを前提にし、右財物取得は強盗殺人に包摂されるものと判断した点について、殺害行為と財物奪取との場所的同一性がなく時間的近接性もない以上、右の鍵三個等につき被害者内村に占有があつたとはいえないから、占有離脱物横領罪を構成するにすぎないというべきであること、かりに内村に占有があるとしても、被告人平田らは、本件殺害行為の前に内村に対する強盗殺人計画を中止していたものであり、殺害後上京したのはその罪証を隠滅しようとしたためであるから、鍵三個等の取得は独立の窃盗罪を構成するにすぎないものと考えられ、強盗殺人の一部として評価するのは疑問であることなどを主張し、原判決の法令解釈ないし適用には判決に影響を及ぼすことの明らかな誤りがある、というのである。

そこで、所論の当否について判断すると、先ず、所論がその後段において、被告人平田らは内村を殺害する前に同女に対する強盗殺人計画を中止したものであるとし、また、同女を殺害した後に上京したのは罪証を隠滅するためであつたとしているのは、いずれも原判決の事実認定に反するものであつて、原判決の事実認定に誤りのないことは前述のとおりであるから、所論はその前提の一部において既に失当といわなければならない。そして、原判決の事実認定を前提として、原判決が、被告人らの上京後における鍵三個等の取得行為につき強盗殺人罪に包摂されるものと判断している点につき、その当否を検討すると、内村ミル子に対する被告人らの犯行(死体遺棄の点を除く)は、原判示のとおり、内村を松山におびき出し同女を殺害してその所持する金品や居室の鍵を奪い、直ちに上京しその鍵を利用して内村方に侵入し現金、預金通帳などを奪うことを共謀したうえ、誘いに乗つて空路松山に到着した内村を出迎え、口実をもうけて同女を自動車に乗せ、松山市久谷町の原判示間道まで赴き、同所において原判示のような経緯により結局同女を殺害し、その所持する金品、鍵などを奪い、その翌日計画どおり空路上京し、東京都港区の原判示内村方居室に右の鍵を用いて侵入し、同所において鍵三個、契約書一通などを取得した(現金や預金通帳は見つからなかつた)というものである。とすれば、右松山における被告人らの犯行が強盗殺人にあたることは当然であるところ、東京における財物取得の犯行については、(イ)当初からの計画に基づくものであつて、松山における犯行との間に犯意の単一性、行為の連続性が認められること、(ロ)被害物品が、松山における犯行のそれと同様に、内村が単独で処理し、所有するものであること(内村は一人ぐらしをしていた者であり、身寄りの者も少なかつた。)、(ハ)東京と松山との距離的隔たりや双方の犯行の間に約二五時間の経過があることを考慮しても、近時における航空路線の発達からすれば、右場所や時間の隔たりはそれほど大きいものではなく、双方の犯行を包括して評価することの妨げにはならないと考えられること、(ニ)被告人らは、当初から内村を殺害してその所持する金品を奪おうと企て、その実行に及んだものであるから、東京における財物取得も、全体的観察からして、殺害を手段として内村の占有から被告人らの占有に移したものとみるべきであり、これを占有離脱物横領とか窃盗とみるのは当を得ないものであること、(ホ)取得した物品が鍵とか契約書などであり、財産的価値の乏しいものであつたことは、たまたま金目の物が見当らなかつたという偶然の事情によるにすぎないこと、以上の諸点からみて、被告人らの上京後における鍵三個等の取得行為は松山における犯行と包括して強盗殺人罪を構成するものと解して差支えなく、これと同旨に出た原判決の判断は相当であつて、その法令解釈又は適用になんら誤りはなく、論旨は理由がない。

3  さらに、所論は、原判決が内村ミル子方居室への住居侵入罪の成立を認めている点につき、内村が住居から遠く離れた松山で殺害され、殺害後約二五時間を経過している以上、もはや内村の住居とはいえず、生活関係の自由と平穏という保護法益も存在していないとみるべきであるから、原判決は法令の解釈、適用を誤つたものである、というのである。

しかしながら、原判決が「昭和五三年九月一二日付起訴の住居侵入、窃盗の罪の成否及びその法律的評価について」と題し、その三において説示しているとおり、被告人らは、内村を殺害する前から、同女を殺害した後同女方に侵入することを企図していたものであり、その実行に及んだものであること、殺害現場と内村方住居との距離や時間的経過の点は、前述のように航空路線の発達からしてそれほど大きいものではないと考えられること、内村の死亡の事実は被告人らだけが知つていたものであること、内村方住居は施錠され、同女の生前と同じ状況下にあつたことなどの諸点からすれば、内村方の住居の平穏は、被告人らの侵入の時点においても、同女の生前と同様に保護されるべきものであり、被告人らはその法益を侵害したものと解されるから、原判決が住居侵入罪の成立を認めたことに誤りはなく、論旨は理由がない。

4  また、所論は、かりに、内村方への住居侵入の罪が成立し、同所における鍵三個等の取得が強盗殺人の罪に包摂されるとしても、右の住居侵入は松山における強盗殺人の犯行後約二五時間を経過してから東京においてなされたものであるから、それと本件の強盗殺人全体との間に通常予想される手段、結果の関係があるとはいえず、原判決が右両者の間に牽連関係の成立を認めたのは、法令の解釈、適用を誤つたものである、というのである。

しかし、所論は、本件住居侵入と強盗殺人とが牽連犯の関係にあるものとして一罪の取扱いをした原判決を非難し、併合罪の取扱いをすべきものであるというのであるから、被告人に不利な主張であつて失当というべきであるが、その点はさておくとしても、内村方への住居侵入の所為と同所における財物取得の行為とが刑法五四条一項後段にいう手段、結果の関係にあることは明らかであつて、右財物取得の所為が松山における犯行と共に強盗殺人として包括的に評価されるものである以上、右住居侵入と本件の強盗殺人とが全体として一罪の取扱いを受けることは当然といわなければならない。右住居侵入が介在することを理由として、松山における強盗殺人の犯行と東京における財物取得の犯行とが各別個の罪を構成するものとみるのは相当でない。原判決が、その法令適用において、内村方への住居侵入と内村ミル子関係の強盗殺人全体とが手段、結果の関係にあるもののように表現しているのは正確ではないが、その趣旨は右に述べた当裁判所の判断と同一に帰するものと解され、右住居侵入と強盗殺人の各所為につき刑法五四条一項後段、一〇条により重い強盗殺人罪の刑で処断することにした結論は相当であるから、原判決に所論のような法令の解釈、適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

5  法令適用の誤りをいう所論の最後は、原判決は、内村に対する強盗殺人の罪と同女の死体遺棄の罪とを併合罪の関係にあるものとしているが、右の両罪は刑法五四条一項後段にいう牽連犯の関係にあるものというべきであるから、原判決は法令の解釈、適用を誤つたものであり、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論の当否につき判断すると、数罪が牽連犯となるためには、犯人が主観的にその一方を他方の手段又は結果の関係において実行したというだけでは足りず、その数罪間にその罪質上通例手段、結果の関係が存在するとみられることを必要とするところ、死体遺棄の行為は必ずしも常に強盗殺人の行為に伴うものとは考えられず、強盗殺人と死体遺棄との間に通例手段、結果の関係が存在するとは認められないから、本件において内村に対する強盗殺人の罪と死体遺棄の罪とを刑法四五条前段の併合罪の関係にあるものとした原判決の法令適用になんら誤りはなく、論旨は理由がない。

三  被告人平田についての控訴趣意第三点について

所論は、被告人平田を死刑に処した原判決の量刑は著しく重きに失し不当であるから、到底破棄を免れない、というのである。

そこで、原審記録ならびに証拠物を調査検討し、当審における事実取調の結果をも考え合わせて判断すると、本件事案の内容は、原審認定事実のとおり、石田ヨシ子に対する強盗殺人、右の犯行により得た定額郵便貯金証書等を利用した私文書偽造、同行便、詐欺(各二件)、内村ミル子に対する強盗殺人、住居侵入、死体遺棄の各犯行であり、原判決が「量刑の理由」として説示している諸点は相当として是認することができる。原判示のとおり、本件各犯行は、短期間のうちに、なんらの非違もない二名の女性を相次いで計画的に殺害して金品を強取し、そのほか多額の金員を騙取し、あるいは死体を遺棄したというもので、特に二名の何物にも替え難い貴重な生命を奪つた犯行の結果は極めて重大であり、その犯行態様や犯行後の行動状況等をも考え合わせれば、まことにこの上もなく残忍で悪質な犯行といわなければならず、各犯行について終始主導的役割を果した被告人平田の罪責は甚だ重大である。

所論は、本件各犯行が偶発的なものであるとし、また、動機において酌量すべき事情があるとするのであるが、その多くは原判決の事実認定に添わないものであり、証拠に基づかないものであつて、採用することができない。原判決の事実認定に誤りがあるとは認められないこと前述のとおりであり、本件各犯行が偶発的なものであるということはできず、犯行の動機が被告人の経営する四国美研の資金調達にあつたことは原判決も認めているところであるが、それだからといつて、二件におよぶ強盗殺人の罪責を特に軽減すべき事由があるということはできない。所論は、また、犯行の手段、方法は決して残虐とはいえないというのであるが、石田関係の犯行態様については、原判決の認定に添わない事実関係を前提とするものであるから、採用することができず、石田関係にしても内村関係にしても、刃物などの凶器は使用していないとはいえ、紐状の物やロープで首を強く絞め殺害した行為が残虐でないとはいい得ない。所論は、被害者に落度がなかつたとはいえないというのであるが、石田、内村の両名とも別段に落度があつたとは考えられない。被告人平田は、捜査官に対しても、原審公判においても、「石田に貸した金で返済を受けていない分が一〇〇万円あり、本件犯行の当夜石田にそのことを話したら、あんなものは時効よと言われた。」旨供述しているのであるが、平田の原審公判における供述(原審記録一九冊四一九丁)によれば、「ママとしては私から取つたつもりでおつたんでしようけれども、私としては貸したつもりでおつたんです」というのであり、問題となる金のやり取りは昭和四八年夏ごろになされたものということでもある(平田の検察官に対する昭和五三年七月二〇日付供述調書)から、被害者石田が「もう時効よ」と言つたとしても、そのことが特に不当な言動であるとは認められない。所論は、また、石田関係の事件についてはともかく、内村関係の事件については、犯行の主な率先遂行者は野口であるともいえるし、少くとも平田の方が主犯格だというのは当を得ない、というのであるが、控訴趣意第一点についての2において述べたように、被告人平田は、内村関係の犯行においても、全体的にみて単なる追従的立場にあつたものとは到底いえず、むしろ主導的役割を果したものと認めることができる。

そのほか、所論は、被告人平田の生い立ち、経歴、会社経営の状況、本件について反省悔悟していることなどの諸点を強調し、同被告人を死刑に処するのは相当でなく、無期懲役に処し被害者の冥福を長く祈らせることにより十分罪を償えるものであるとする。所論の点に関し平田のために有利とすべき情状がある程度認められることは、原判決も説示しているとおりであるが、平田がこれまで家庭や社会生活において全くまじめに責任を果して来たものであるかのようにいう所論は、証拠に照らし決して採用することができない。すなわち、先ず、前科関係として、平田は、昭和四二年七月二五日八王子簡易裁判所において住居侵入未遂の罪により罰金二〇〇〇円、同年一一月二九日横浜簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年、執行猶予三年、同五〇年三月二〇日東京地方裁判所において詐欺、私文書偽造、同行使の各罪により懲役二年、執行猶予四年の各判決をうけているのである(従つて、本件各犯行は右前刑の執行猶予期間中になされたものである。)。また、家庭生活においても、平田は、昭和三四年に喜多マサ子と結婚し、その後同女との間に三人の子をもうけたが、昭和四〇年ころから鈴木瓔子と関係を生じ、同四二年一〇月ころ妻子を東京に残したまま高知に赴いて飲食店などで働くようになり、自己の後を追つて高知に来た瓔子と同居していたところ、仕事が思わしくなかつたことなどから昭和四四年春ころ再び上京し、高知の勤務先で知合つた武内美代と同棲をはじめ、同年中に前記マサ子とは離婚し美代と正式に婚姻したが、前記瓔子との関係はその後もしばらく続いていたものであり、その後昭和五〇年四月ころから再び高知において化粧品販売の仕事をしていたが、東京在住当時から関係のあつた高野洋子をいわゆる二号の形で高知に住まわせるなど、女性関係に放縦で、家庭的にも無責任な生活を送つていたことが明らかである。そのほか、平田は、原判示のように四国美研の経営に窮したことから、友人、知人、美研の社員やその親、さらには中学時代の教師など多数の者から、美研への出資、平田への貸金などの名目で多額の金員を借受けながら、その大部分が未返済のままになつており、また、社員に命じてその社員名義でいわゆるサラ金から金を借り受けさせたり、他人に依頼し自己振出の手形に裏書を得て金策しながら、結局それらの者に返済や手形金支払の責任を負わせるなど金銭関係においても多数の者に多大の迷惑をかけていることが証拠上明らかである。

以上のように、被告人平田に対する量刑上の情状につき種々考察すると、原判決が説示しているような同被告人に有利とすべき事情を斟酌しても、原判決が同被告人を死刑に処することにしたのはまことにやむを得ないものというべきであり、その量刑が重すぎて不当であるということはできず、また当審における事実取調の結果、特に同被告人の妻美代(もつとも現在は離婚している)や長女らが助命を嘆願していることなどによつても、原判決の量刑を変更すべきものとは考えられない。論旨は理由がない。

四  被告人野口についての控訴趣意第一点について

1  所論は、事実誤認をいうものであり、先ず、原判決認定事実第二の石田ヨシ子関係の犯行につき、被告人らには強盗殺人の犯意は終始存在せず、石田に対する犯意も強盗の範囲にとどまり、その発生時期も、被告人平田においては、現金の束が目について石田に襲いかかつた直前であり、被告人野口においては、右平田が襲いかかつた直後であり、ここにいわゆる強盗の現場共謀が成立したものとみるべきであつて、その後も被告人らに殺意は生じないまま、被告人らの意に反して石田が窒息死したものであるから、強盗殺人を計画的に敢行したものとする原判決には重大な事実誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかしながら、被告人平田についての控訴趣意第一点に対する判断として前述したように、原判決が原判示第二の一ならびに同第二の二の1の各認定事実について挙示している各証拠を総合すれば、原判決が石田ヨシ子関係の犯行として判示しているとおりの犯行に至る経緯ならびに強盗殺人の事実を十分に認定することができるのであり、原審において取調べられたその余の証拠ならびに当審における事実取調の結果を合わせて考えても、原判決の右事実認定に誤りがあるとは考えられない。原判決の事実認定を相当とすべき理由は、原判決が弁護人らの主張に対する判断の一において詳細に説示しているとおりである。その任意性になんら疑いのない被告人野口の捜査段階における各供述調書によれば、同被告人は、原判示のように相被告人平田の主宰する四国美研に勤務していたものであるが、その経営が苦境に陥つているのを熟知していたうえ、昭和五三年五月一五日社長室で平田から「東京に行き一人住いの女の家に盗聴機を仕かけ、男との会話を録音し、それを種に金をゆすろう。それがだめなら縛り上げて金を取ろう。その後殺して死体を細切れにし海に捨てれば絶対にわからない。」という趣旨の相談を持ちかけられるや、これに即座に賛同し、同月一七日にもそのことを相談し、相手を縛るか殺すかするためのビニールロープを四、五本用意したこと、同月一八日右ロープなどを携行して平田と共に上京したが、その途中大阪空港で羽田行に乗りかえる際、空港内の喫茶店で、平田から、狙う相手は原判示の吉川君子であることや死体の処理方法などのことを聞き、最悪の場合平田と共に吉川を殺すことを決意したこと、上京後平田が死体を始末するための道具を買つたこと、その後相手を吉川から石田に変え、同女を殺してでも金を取ることを相談のうえ、石田方に赴き、同所で最初に平田が石田の首を腕で絞めつけ、自分も呼ばれて石田の足を押え、紐で縛つたりし、その後金や通帳を探し出し、最後に平田が石田の首を紐で絞め、自分も足や口などを押えて殺害したことなど、原審の認定に添う供述(ただし、ビニールロープを準備したとの点は、原判決が措信できないとしている。)をしているのであり、右供述は、その供述内容からも、また、被告人平田の捜査段階における供述その他の関係各証拠との対比からしても、十分に信用できるものと認められる。

以上に対し、被告人野口は、原審第一回公判においては、初めから石田を殺すつもりはなく、最後に両手で同女の鼻や口を押えたときは殺す気だつたと述べ、同第二回、第八回、第九回各公判においては、終始石田を殺す気はなく、四国美研や大阪空港でも強盗とか殺人の話はなく、泥棒の話が出ただけであり、石田方に行く時も殺す話はしていないのであつて、石田方で同女の口の中にパンテイを入れガムテープを三枚貼るなどしているうち、同女が急におとなしくなり、死んだことが分つたと述べているのであるが、右の各公判廷供述は、第一回公判における供述と第二回公判以降の供述とが全く異ること、捜査段階における供述や他の関係各証拠との対比などからして、到底信用することができない。石田に対する強盗殺人の犯行が被告人らの共謀による計画的な犯行であることは原判示の関係証拠に照らし明らかであつて、この点に関する原審の事実認定に誤りはなく、論旨は理由がない。

次に、所論は、石田が死亡したのは、原判示のように紐状の物で首を絞めた結果ではなく、口中にパンテイを強く押し込みガムテープで猿ぐつわをした結果気道閉塞により窒息死したものであり、被告人らに終始殺意はなく、本件は強盗致死であつて、原判決には重大な事実誤認がある、というのである。

しかしながら、右被害者の死因の点についても、被告人野口の捜査段階における供述は信用できるものと認められ、同被告人の原審ならびに当審各公判廷における供述のうち原判決の認定事実に反する部分は、関係各証拠に照らし信用することができない。特に、ガムテープを用いたとの点は、野口が、原審第二回公判以後において平田の供述に追随するかのようにそのことを言い出したものであり、捜査段階では全く述べていないこと、被告人平田についての控訴趣意第一点に対する判断として前述のとおり、渡辺博司の証言、同人作成の鑑定書等からすれば、石田の死因は頸部圧迫による窒息とみられるのであり、気道閉塞によるものとは考えられないことなどの諸点からして、所論に添う野口の原審及び当審各公判廷における供述は信用することができない(平田の同旨の供述が信用できないことは、同被告人についての控訴趣意第一点に対する判断として述べたとおりである。)。

なお、所論は、原判決が、「紐状の物」を石田の首に巻きつけて強く絞めたと認定している点につき、紐状の物というのは不特定であり具体性を欠くとし、紐状の物であることについては被告人らの供述以外になんら補強証拠がないとして種々詳論する。そこで、判断を加えると、原判決は、石田関係の犯行態様につき、相被告人平田において紐状の物を石田の首に巻きつけて強く絞めたと認定しているところ、右紐状の物というのがどのようなものであるのかについて証拠上いささか不明確な点があることは否定し難いというべきである。しかし、それは、被告人らが石田に対する犯行終了後、犯行の用具などをすべて適宜始末し処分していること、被告人らが、捜査段階ではビニールロープを準備して上京し、これを石田殺害の犯行に用いたと述べていながら、公判段階においてはそのことを全く否定し、首を絞めたこと自体をも否認していることによるものであるから、原判決の右認定に不明確な点があつてもやむを得ないと考えられ、原判決の右認定をもつて直ちに不当ということはできない。ただ、原判決は弁護人らの主張に対する判断の一において、ビニールロープを準備しこれを携行して上京したとの被告人らの捜査段階における供述を措信し難いとしているのであるが、この点については、証拠上疑問が持たれないではない。すなわち、「上京前に四国美研の社内でビニールロープを適当な長さに切断して準備し、これを携行して上京し、石田を殺害する際犯行に用いた。」旨の被告人両名の捜査段階における供述は、その供述内容が具体的であり、捜査段階においてくり返し述べられていることからも、また、原審第一回公判において、被告人両名がロープで石田の首を絞めて殺した旨認めていることからも、信用してよいのではないかとも考えられる。被告人両名は、原審公判の途中からは、ビニールロープを準備して上京したことを否定し、ロープで首を絞めたことをも否定しているのであるが、右の公判廷供述は、犯行の計画性を打消し偶発的犯行であることを主張する被告人らのためにする供述とみられないことはなく、ガムテープの関係につき既に検討したとおり、にわかに信用し難いものというべきである。また、被告人野口は、原審第八回公判において、「美研の事務所にあつたビニールロープを切つて準備したと警察官に述べたのは、松山での内村に対する犯行を隠すためである。」と供述しているけれども、野口は昭和五三年七月一〇日に石田の件で逮捕され、取調をうけているところ、同月一六日には内村関係の犯行をも自白しているのであり、右内村の件についての自白の前後を通じ、石田関係でロープを準備しそれを犯行に用いたことを捜査官に述べているのであつて、内村関係の犯行を隠すためであるとする前記野口の公判廷供述は容易に信用することができない。原審で取調べた証人秋永和恵、同坂本保喜美、同松内澄恵の各証人尋問調書によれば、右松永ら三名は、いずれも四国美研に役員あるいは社員として勤務していたものであるが、原審で取調べられたビニールロープ(原裁判所昭和五三年押第一八〇一号の符号8。これは被告人らが内村を松山空港まで迎えに行く途中購入し、何本かに切断したものの一部である。)につき、このようなものは四国美研では使用しておらず、見たこともない旨一致した証言をしており、右証言からすれば、被告人両名が石田に関する犯行に関し「会社で荷作り用に使用していた」ビニールロープを切断して準備したもののように捜査官に対し述べている点は、その信用性が確かに疑わしいものといわなければならないが、会社で使用していたものでなくとも、被告人らが何らかの方法でビニールロープを入手し、それを切断して準備することは容易であるとも考えられる。被告人らが内村を出迎えに行く途中ビニールロープを購入していることは明らかであるが、そのことによつても、石田関係についてのビニールロープ準備に関する被告人らの前記供述を措信し難いとするのは早計ではないかと思われる。以上のように種々考察すると、原判決が、石田関係の犯行につき、ビニールロープを準備して携行し、それを犯行に用いたとの被告人らの捜査段階における供述を措信し難いとしている点は、証拠上疑問があるといわなければならない。しかし、(イ)かりに、被告人平田が石田の首を絞める際ビニールロープを用いたと認定すべきであるとしても、ビニールロープも一種の紐状の物ということができるから、原判決が「罪となる事実」中において「紐状の物を同女の首に巻きつけて強く絞め」たと認定している点に誤りはなく、(ロ)原判決がビニールロープ以外の「紐状の物」を想定したものとしても、そのいずれで首を絞めるのも犯情において格別の相違があるとは考えられず、(ハ)石田の死因が頸部圧迫による窒息であることは、前記渡辺博司の証言や同人作成の鑑定書等の各証拠により明らかであるから、その点からも「紐状の物」で同女の首を絞めたとの原審認定に誤りはないと考えられ、(ニ)また、原判決が被告人らの捜査段階における供述を措信し難いとしている点は、被告人らにむしろ有利な判断とみられることなどの諸点からすれば、「紐状の物」で石田の首を絞めたとの原判決の事実認定になんら誤りはなく、原判決の弁護人らの主張に対する前記判断を合わせ考えても、原審の認定に判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるということはできない。

以上のとおりであるから、石田関係の犯行の態様につき事実誤認をいう論旨はすべて理由がない。

2  さらに、所論は、原判決認定事実第三の内村ミル子関係の犯行について事実誤認をいうのであり、被告人らの間において、内村を松山空港まで迎えに行く途中、金の借入れ等を断られたら金員を強取しようとの話はあつたが、同女を殺害することの共謀はなかつたこと、松山での犯行現場において、平田が強姦のつもりで「野口やれ」と言つたのを、野口が殺害の意味に解し、ロープで絞めたものであること、野口は内村の首にロープをかけ後方に引張つているが、後方でロープを交差させてはおらず、首を絞めた力もそれほど強くはなかつたことなど種々主張する。

そこで、検討すると、被告人平田についての控訴趣意第一点に対する判断の2において述べたとおり、原判決が内村関係の事実について掲げている各証拠によれば、原判示どおりの内村に対する強盗殺人の事実を十分に認定することができるのであり、原審で取調べたその余の証拠ならびに当審における事実取調の結果を考え合わせても、原判決の右事実認定に誤りがあるとは考えられない。原判決の右事実認定を相当とすべき理由は、原判決が弁護人らの主張に対する判断の二において説明しているとおりであり、原判決の認定に反し、所論に添う趣旨を述べる被告人野口の原審公判廷における供述は、同被告人の捜査段階における供述その他の各証拠に照らし、信用することができない。野口に「やれ」と言つたのはセツクスをさせるつもりであつたとする被告人平田の原審ならびに当審各公判廷における供述も、同被告人についての控訴趣意第一点に対する判断において述べたとおり、信用することができない。また、野口は、検察官に対する供述調書においても、内村の首にかけたロープを首の後方で交差させたとは述べておらず、原判決もロープを交差させたとは認定していないのであるから、この点に関する所論は、前提において失当である。野口が内村の首にかけたロープを力一杯後方に引き、内村の首を絞めたこと、その行為と平田が内村の鼻口部をタオルで押えるなどした行為とにより内村がその場で窒息死したことは、いずれも各証拠から明白であり、右の各行為によつても内村が死亡しなかつたものとする所論は採用することができない。

以上のとおりであるから、内村関係の犯行について事実誤認をいう論旨は理由がない。

五  被告人野口についての控訴趣意第二点について

1  所論は、法令適用の誤りをいうものであり、先ず、刑法二四〇条後段の法定刑中死刑を定めた点は憲法三一条または三六条に違反しており、これを選択して死刑を言渡した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、所論の理由とするところは、被告人平田についての控訴趣意第二点の主張と全く同じであり、刑法二四〇条後段の法定刑中死刑を定めた点が憲法三六条、三一条に違反するものでないことは、右平田についての控訴趣意に対する判断として既に述べたとおりであるから、原判決に所論のような法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

2  次に、所論は、内村に対する犯行につき、(イ)内村を殺害した後、上京して鍵三個等を取得した行為は、占有離脱物横領罪に該当するにすぎず、これを同女に対する強盗殺人の罪に包摂されるものとした原判決は法令の適用を誤つたものである。(ロ)内村殺害後、同女の居室に立入つた行為は、住居侵入罪にはあたらないとみるべきであり、原判決が同罪の成立を認めたのは、法令の解釈、適用を誤つたものというべきである。(ハ)上京後の盗取行為が強盗殺人に包摂され、住居侵入罪も成立するとしても、右住居侵入と本件強盗殺人との間に牽連関係があるとはいえないから、右両罪が牽連関係にあることを認めた原判決は法令の解釈適用を誤つたものである。(ニ)本件強盗殺人と死体遺棄とは牽連関係にあるものというべきであり、これを併合罪であるとした原判決は法令の適用を誤つたものである旨主張する。

しかしながら、所論の諸点は、被告人平田についての控訴趣意第二点における主張とほぼ同旨のものであり、その理由がないことは、右平田の控訴趣意に対し既に判断したとおりであるから、原判決に法令の解釈、適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

六  被告人野口についての控訴趣意第三点について

所論は、量刑不当をいうものであり、諸般の情状からすれば被告人を死刑に処するのはその量刑甚だ重きに失するものというべきであつて、原判決は破棄を免れない、というのである。

そこで、原審記録ならびに証拠物を調査検討し、当審における事実取調の結果をも考え合わせて判断すると、本件事案の内容は、原判決が認定している各犯行事実のとおりであり、短期間のうちに、なんらの非違もない二名の女性を相次いで計画的に殺害して金品を強取し、そのほか多額の金を騙取しあるいは死体を遺棄したというもので、特に二名の何物にも替え難い貴重な生命を奪つた犯行の結果は極めて重大であつて、その犯行態様や犯行後の行動状況等をも考え合わせれば、まことにこの上もなく残忍で悪質な犯行といわなければならず、右各犯行のすべてにつき共同正犯として参加した被告人野口の罪責は極めて重大である。

所論は、石田関係の犯行は計画的なものではなく偶発的犯行であり、野口としては平田の行為を制止できなかつたこと、石田関係の犯行において野口は殺害行為の一部を担当していないこと、野口が内村の首をロープで絞めたのは誤信によるものであることなど、犯行の動機、態様につき種々斟酌すべきものがあるというのであるが、いずれも原判決の事実認定に添わない主張であり、証拠に基づかないものであつて採用することができない。また、所論は、被害者石田、内村の両名の側に落度がなかつたとはいえないとするが、右両名に別段落度があつたとは考えられないこと、平田の控訴趣意について前述したとおりである。

本件各犯行において主導的役割を果したのは平田であり、それに比すれば野口はやゝ従的な立場にあつたことは明らかであるが、石田関係の犯行についても、野口は、平田から一人住いの女性に対する強盗や殺人の相談を持ちかけられて直ちにこれに賛成し、平田と共に上京しホテルに滞在する間、犯行の方法や死体の始末などについて平田から相談をうけ、それらの用に供するための品物を平田が購入するのを知りながら、なんら臆することなく平田との間で犯意を相通じ、同人と共に石田方居室に赴いて原判示どおり強盗殺人の犯行を分担実行し、さらに右犯行により得た定額郵便貯金証書等を利用し、私文書偽造、同行便、詐欺の犯行を自分自身で又は愛人の西田照子を介して実行したものであるから、野口の果した役割も平田に比してさほど遜色あるものではない。さらに、内村関係の犯行についていえば、野口は、前記石田に対する強盗殺人の犯行後半月ほど経過しただけであるのに、内村を再度の犯行対象とすることを平田に提案し、同人との間で、原判示のとおり、強盗殺人についての周到な計画をし共謀したうえ、内村に対する殺害行為の重要部分を担当したものであるから、結局野口の罪責は平田のそれにさほど劣らないものといわなければならない。所論は、野口が得た利益は全体の中で取るに足りないものであり、本件は私利私欲のための犯行ではなかつたというのであるが、本件各犯行が四国美研の資金調達を目的とするものであつたことは認められるものの、四国美研が平田の個人企業というべき会社であることは原判示のとおりであり同社の存続はそのまま被告人らの生活維持につながることであるから、各犯行が私利私欲のためのものでなかつたということはできず、また、各犯行により野口自身としても三〇万円近い現金と腕時計を取得し、内村関係の犯行後間もなく、四国美研の代金支出により、野口の使用する乗用車を購入していることをも合わせてみれば、野口の得た利益が取るに足りないものであつたということもできない。

以上の諸点からすれば、被告人野口には前科、前歴が全くないこと、その生い立ちが不遇であつたこと、同被告人の家族の状況などの情状をできるかぎり斟酌してみても、原判決が被告人野口を死刑に処することにしたのはまことにやむを得ないものというべきであり、その量刑が重すぎて不当であるということはできない。また、当審における事実取調の結果、特に被告人野口の母や兄が助命を嘆願していることなどによつても、原判決の量刑を変更すべきものとは考えられず、論旨は理由がない。

以上の次第であるから、刑訴法三九六条により本件各控訴をいずれも棄却することにし、当審における訴訟費用については同法一八一条一項但書により被告人らに負担させないことにして、主文のとおり判決する。

(裁判官 市川郁雄 簔原茂廣 千葉裕)

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